昭和五十四年十二月三日 朝の御理解

 御理解第十四節 「神は荒れ地荒れ屋敷をお嫌いなさる。」


 神様に嫌われる、荒地荒屋敷をお嫌いなさるだけでなくて、こういう心の状態、心根というものは神様は御好きにならない、お嫌いになる、というところを嫌われてはおかげになりません。それに取り組んで、それを改めようと、ね、という心にならなければ信心は進みません。私は今日、この十四節を頂いた。ただ荒地荒屋敷をお嫌いなさる、という、ま、御理解なんですけども。
 だからお嫌いなさる事は、ね、直ぐそれを改めていく、という事が信心だと思うんです。こんな事では神様が喜んでは下さらない、悲しみなさる。こんな事では神様が、ね。お嫌いになる、という事を日々の信心生活の中から気付かせてもらいわからしてもろうて、ね。それを改めていく。
 いよいよ神様に喜んで頂く私になる。神様に、いうならばお嫌いなさるではなくて、神様に愛される。神様に好かれる私になる、事の精進です。ま、それだけの事ですから、『どんなふうに皆さんにお話し聞いて頂こうか、と思うて只今御祈念させて頂いたら「熊本、人吉」と頂きました。
 熊本という事は、ま、いうならばめぐりの元。熊というのは苦しいと書いて、あの魔性の魔、を書いてたらいいんです。苦魔本という、その元です。おかげの頂ける元、又はおかげの頂けない元というのがあるんです。だからその信心とは、おかげの頂けれる元をいよいよ頂いていく事の為に、ね。[養素拝山]という事がここでは言われます。
 神様に、いよいよ喜んでもらう心というのは美しい豊かな心、とこうあります。それには一番素晴らしい事は、ね、拝山、ね、山を拝む、ね。山を拝む、という事は、いうならば修行を有難く頂いていく、という事なんです。もうこれが一番自分の心を豊かにしていく手立てなんです。
 ですからおかげを頂いていく豊かな心を作る為の教えですから、ね。そういう心を養うていく、という。それは修行を拝む、難儀そのものを拝んで受けていく、という生き方をしておると、いつの間にか豊かになり心が大きうなり、ね。もう本当に歯を食いしばって辛抱しなければならなかった事が有難く出来るようになる。いよいよ心が豊かになっていくのです。
 だから神様に好かれるから豊かなおかげが約束されるのです、ね。これは、いわば神様に好かれる心を作っていく、という。神様の、ね、お嫌いなさるという心は、ま、それとは反対の事になるのです、ね。
 人吉という事は、ね。甘木の初代の教えのお歌の中に、≪[われよしと思ふ心を仇として戦ひて行け日毎夜ごとに]≫という教歌がございます。われよしと思う心を仇とする。かたきのように思うて、それを取り組んで、それを取り除いていけ、というのです、ね。われよしという反対です。人吉と言うのは、ね。人が悪いのじゅない。悪いのは私だ、と。悪いのは自分自身だ、と。自分の心の中に、ね。あれがあゝしたから、こうなった、というような考え方は、いうなら神様に嫌われる心なんです、ね。
 だから神様に嫌われる心ではない。神様に好かれる心を求めて、いうなら養素拝山の信心姿勢を作る、という事と同時に、ね。人が悪い、というような自分はよいけれども人が悪い、ね。自分は力があるんだけれども、世の中が悪い、とこう自分がおかげの頂けない元を自分以外のところへ心を置く、というような生き方が、私は神様に嫌われる、と思うんです。
 不思議に心が豊かになり心が整うてまいります。いうなら心の荒地荒屋敷が後々整理整頓されます。綺麗に、いうならば草がとられたり肥料が施されたりされます、ね。そこに、いうならば有難い、という種が蒔かれるのですから、有難いおかげが受けられる道理です。こころが荒地荒屋敷ではどんなに素晴らしいお話を頂いても、ね、心に居づきません、ね。心が受けつけません。
 どんなに有難いみ教えを頂いても、ね。成程これではおかげが受けられん事がわかります。今日は皆さん一つ、自分のここが神様が嫌いなさるとこじゃろう、というところをです。一つ二つ皆さんが感じとらないところはなかろうと思う、ね。合楽に御神縁を頂いて教えを頂いておったら、自分はここをいっちょ改まらせて頂こう、と、神様から喜んで頂けるだろう、と思うて、ね。
 四神金光様のみ教えの中に憎い可愛い惜しい欲しいというのを取り除けば楽というみ教えがありますね。だから自分は人一倍憎い可愛いが強い。自分は人一倍惜しい欲しいが誰よりも強い、ね、ま、そんな事だけじゃなりますまいけれども、ね。いうなら神様に嫌われる心をです。本気で今日は一つでもそれに取り組んで改めよう。いうならば帰ったならば、家の中も整理整頓さして頂こう、ね。裏の方々に、もし草がぼうぼうと生えておるなら草も取らせて頂こう、とさっそく教えに取り組ませて頂く事がです、私は信心だと思うです。
 今日、私その、熊本人吉という事を頂いてね。そういう熊本という事はおかげの受けられない元と頂いて下さい。人吉というのは、ね、人が悪い、ね。自分はよいけれども人が、周囲が悪い、という思い方をです、捨てて、ね。人吉でなくて、ね。我よしと思う心を、に、本気で取り組んで行く、という事は、取りも直さず、そのまま神様に好かれる心だと思います。どうぞ